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展示のお知らせ(蔵野)

展示会のお知らせです。

私の所属しております独立展の春季新人選抜展に出品させていただくことになりました。
F130号の大作を1点出品します。

●会期:2018年3月25日(日)~31日(土)会期中無休
    午前9時30分~午後5時30分(入場は午後5時まで)
   (最終日は午後3時閉会、入場は午後2時30分まで)

●会場:東京都美術館(上野公園)
    LB(ロビーフロア)第4公募展示室
   (美術館入口より一番左奥までお進みください。)

●入場無料

お近くにお越しの際は、お立ち寄りいただければ幸いです。

蔵野

蔵野春生の画像
蔵野春生 2018/03/01 16:15

出会うこと巡ること・・・受け取るメッセージ(佐藤)

2017年の暮れ。
12月27日水曜日が神田絵画教室の年締めの授業でした。
この日はいつもより早く家を出ました。
丸ノ内線御茶ノ水駅で降りて、『サイカチの樹』を目指しました。近づいて触れました。
今年も無事過ごせたことを感謝しました。

そこから、明大通りに出て『小栗上野介住居』ところを見上げました。
「小栗さま!この空が今の日本ですよ。色々あるでしょうが見守ってくださいネ!」私は頭を下げました。

さらにそこから少し歩けば、『虔十書林』です。
私以外誰も居ません。
そのお店のご主人から宮澤清六編『国訳妙法蓮華経』を見せていただきました。
ご主人のような手馴れた扱いができません。それでも「(直接)触って触れてもいいですか?」とお願いしました。

あたたかい紅い表紙をしばらく眺めたままです。
初めて触れました、めくれば和紙の柔らかな感触が波のように襲って来ます。
今、確かに自分の素手の中にあるのは単なる稀覯本では決してありません。
宮澤賢治の遺言『国訳妙法蓮華経』でしたから・・・。

言葉が出てきません。
中を見たはずなのに覚えていません。
かろうじて宮澤清六さんの名前や住所を繰り返し見やりました。
「稗貫郡花巻町大字川口大一二地割字川口町・・・」有り難いことでした。
ご主人は私の様子をただただ見守ってくれました。

その脚で、虔十書林から戻り信号渡ること約150メートル、わたしは駿河台南甲賀町『八幡館』跡地を巡りました。
「賢治さんまた来たよ」と声かけました。

宮沢賢治は1933年9月21日に亡くなっています。
その時の遺言が先ほどの『国訳妙法蓮華経』です。
賢治はなくなる二年前の1931年9月20日に上京しました。
賢治は21日、高熱の中にありました。
八幡館備えつけの用箋使用で家族に宛てた遺書をしたためています。
熱がさがらず死を覚悟したと思います。

この一生の間どんな子供も受けないやうな厚いご恩をいただきながら、いつも我慢でお心に背きたうたうこんなことになりました。
今生で万分一もつひにお返しできませんでした。
ご恩はきっと次の生又その次の生でご報じいたしたいとそれのみを念願いたします。

どうかご信仰といふのではなくてもお題目で私をお呼びだしてください。
そのお題目で絶えずおわび申しあげお答へいたします。

九月二十一日
父上様 賢治
母上様

賢治はなお兄弟へもしたためました。

たうたう一生何ひとつお役に立たずご心配ご迷惑ばかり掛けてしまひました。どうかこの我侭者をお赦しください。

清六様 賢治
しげ様
主計様
くに様

わたしの脚は淡路町の元神田絵画教室裏のお稲荷さんに向かいました。
神田絵画教室の無事やさらなるご繁盛をご祈念しました。お賽銭100円玉、50円玉、10円玉、5円玉、1円玉でした。

教室を年締めしてから、自宅に着いたのは23時45分でした。
自宅ポストには一冊の本が送り届けられてありました。
岩田シゲさんの回想録『屋根の上が好きな兄と私』というものです。
賢治と5歳離れた妹シゲさんの回想録がこの平成時代の暮れに現れでたのは奇跡だと思いました。

有り難いことこのうえない日常の重層でしょうか?感謝です。

わたしたち日常そのものが絵画層のレイアーに似て、過去現在未来を彩るつかさどる強い関係を意識したものに、見えてきます。
日々生活に追われて見えずらいですが・・・、自然は確かなメッセージを送ってくれていると感じるこの頃です。
「描くべし描くべし」と青い風が吹きわたっているのです。

佐藤

IMG_0317.jpg

佐藤比呂二の画像
佐藤比呂二 2018/02/12 13:22

『絵を描いています』(孫崎)

「お仕事何されているんですか?」
初対面の人にこう聞かれると、
いつも答えるのに、もごもごしてしまう。

「絵描きのようなものをしています」
なんとも歯切れが悪い返事だ。

「画家です」と言い切るには
何だか気が引けてしまう。
ましてや「芸術家」「アーティスト」だなんて
口にするだけでも奥歯が痒くなるぐらい恥ずかしい。

そもそも画家って何だろう?
と考えてみる。

”画家”
絵を描くことを職業とする人、絵描き(広辞苑)

現実には絵を描くことだけで生活している人は
ほんの一握り。
多くは他に教師や講師、
まったく関係のないアルバイトなど
兼業している人がほとんど。
むしろ画家としての収入は皆無に近いことも。
果たしてこれで画家を職業として
名乗って良いものか・・・。

先のフニャフニャした私の回答も
こんな所に依る。

ちょっと調べてみたところ
村上龍氏の「13歳のハローワーク」に
画家についてこんな記述があった。

「画家にとって、もっとも大切なことは、
絵を描き続けることである。(中略)
何でもいいから、とにかく描き続けることだ。
絵が売れても、売れなくても、
絵画表現の意欲と喜びとともに、
何年も何十年も絵を描き続けることができれば、
その人は画家である。」

また、故・堀越千秋氏が
以前エッセイにこんなことを綴っていたのも
記憶している。

「絵描きとは、絵が好きなわがまま者が、わがままを貫き通して死ぬまでの名前です」

どうやら画家というのは、
職業というより生き方に近いような気がする。

だから「絵描きのようなもの」という
曖昧な受け答えは
あながち間違っていないのかも知れない。

とは言え「のようなもの」なんて付くと
じゃあ何なんだ?となってしまう。

そんなわけで、最近は職業を聞かれたら
こう答えるようにしている。
「絵を描いています」

この方が何だかスッと自分の中で腑に落ちる。
どのみち質問した人が受け取る内容は
そんなに変わらないのだけれども・・・。

孫崎

孫崎かんなの画像
孫崎かんな 2018/02/05 22:46
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