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近況と展覧会(柳田)


 

時間が恐ろしい速さで過ぎ去って行きます。
一日は本当に24時間あるのだろうか。7月ってあったかしら?いつの間にか7月が終わっていたと思っていたら、8月も終わってしまう現状。これはマズい。

久しぶりにいくつかの展覧会を控えています。
小品のグループ展を皮切りに、団体展と個展があります。
昨年は団体展がWEB展のみの開催となり、個展も延期しました。今年は何とか用心しながらの開催となる予定です。

色々ご案内はさせて頂きますが、まだまだコロナ禍の中、ご来場はご無理無く、くれぐれも皆様ご無事にお過ごし下さいますよう。

この一年、引き籠っていたのだからさぞかし制作が進んでいるかと思いきや、悶々と日々が過ぎ、気付けばいつもの如く膨大な制作過程の作品群と締め切り日とを睨み付ける日々です。もはや9月へ突入、時間が経つのが恐ろしいです。

まずは9月に所属する自由美術会員による小品展に参加致します。

9月20日(月)~9月25日(土)
ギャラリーストークス (港区南青山6ー2ー10 TIビル4F
12:00~19:00(最終日16:00)
「絵画小品展~自由美術会員による~」

ご無理無く、お近くにお越しの際はお立ち寄り頂ければ幸いです。

絵描きは淡々と、粛々と画面に向かうしかないと感じる日々です。

柳田

柳田祐希の画像
柳田祐希 2021/08/31 17:40

泣きっ面にホチキス(佐藤)


6月24日木曜日23:30頃、自転車で帰途、傘が前輪に絡まり、後輪が浮き体は前のめになって路上に打ちつけた。地面との距離感もわからず顔面で受け身をとる一瞬の出来事だった。それは真っ暗な世界に吸い込まれるような感じでした。
家に帰って、水で濡らしたタオルが血で染まる、タオルで冷やして精一杯。バンドエイドで止血する。鏡の中のわたしの顔はまるで永井豪の漫画に出てくる主人公の様相だ。市内の夜間指定病院に電話をする。「めまいや吐き気がしたら、また、連絡ください」という。
床についてから、めまいも吐き気もなかった。6月24日は、『二十歳の原点』の作者高野悦子の命日を今年も覚えていた。彼女の日記の最後は、確か「旅に出よう」だったかなぁうっすらと思い出した。

25日金曜日。該当する担当医が不在という。違う病院を紹介された。

26日土曜日。ここの担当医は「自転車で転ぶことはぼくにもある」と笑顔で言う。私とは違うと思った。しごく当たり前に、めまいや吐き気がなかったですかと問診した。バンドエイドを剥がして、目の上のコブのような裂け目にホチキス。これは治療だろうか?そして、今日これから骨や脳に異常がないかでCT検査をするという。
今回、生まれて初めて脳や頭の骨の検査のためカプセルのようなものに乗った。結果は異常は無し。写真を見せられた、今、自分の脳の断層写真を見ている自分がいる。少し不思議な感じがした。泣きっ面にホチキスだ。

実は、私は事故る前から少し浮かれていたかもしれません。
東京都、そして、沖縄、北海道が梅雨の晴れ間のように緊急辞退宣言が解除になるのをのを待って、6月28日(月)〜30日(水)に一時帰省するものだ。田舎の家の奥隣りの倉庫がある。その倉庫の解体にともなう隣家への挨拶や解体作業全般を仕切ってくれる工務店主人への挨拶を済ませていないので、この機会で動こうと思っていた。そして、また、倉庫の荷物整理が一番の帰省目的だった。こんな帰省でも楽しみが増して行くことが自分でもわかっていましたから。

兄が解体業者を入れずに同級生の工務店の妻倉修さんにお願いしていました。私も妻倉さんなら小さい頃からよく知っているので、安心して任せられます。

6月28日月曜日。お墓参りができました。父も母も思い出もまぼろし中の世界いる感じでした。この日の空は高いと思いました。

6月29日火曜日。工務店妻倉さん家に挨拶にうかがいました。修さんは「家に上がればーいいっしょ」「上がればー」と強く促してくれました。仏壇にお水をあげさせてもらいました。

妻倉修さんの妹さん百合子さんを覚えています、制服姿の百合子さんです。百合子さん中学3年、僕が1年。卒業式の前日3年生全員が一人ひとりが壇上に上がって校長先生から卒業証書を受け取る予行練習がありました。2年生1年生は椅子に座り眺めているだけのもの。妻倉百合子さんが名前を呼ばれて、決して強くはない「ハイ!」と返事をしました。立ち上がりました。スカートではないスラックス姿です。
私には彼女の所作動作とたたずまいが、次に移る動作が他の周りの3年生と違って見えました。何か分からないですが、彼女なりに生きてきたこれからも生きていく強い領分なようなのが伝わって来たからだと、私は今にしてようやく感じて来る思う始末です。

卒業証書を受け取る姿は後光がさしているように見えたことを話しました。50年以上前の事、話しです。

そして、お兄さん、妻倉修さんにさんにその時のことを話しました、その姿は美しいと思ったことを正直に話しました。話しながら私の目に突然の泪があふれて来ました。涙の源はどこからくるのでしょうか?
泣きっ面にマスクでした。

北海道から戻って来てから、ユーチューブで[弘前 奇跡のハチミツ]というのを見ました。その画面横にダイジェスト沢村英治がありました。

1936年(昭和11年)の沢村英治投手 19歳の時のものが出て来た時は驚きました。そこには職業野球にかける若者たちの仲間の奇跡の映像が映し出されていました。この映像に映った10代20代の選手23名中21人がこの試合後に戦地に出征したという。

2021年夏。申し訳ないように生きてごめんなさいです。沢村英治さん一球投球画像ありがとうございました。誰にも聞こえない、泣きっ面に一球投球画像でした。泣きっ面に絵だと叫びたくなりました。
その日。「描くべし描くべし描くべし」と三度自分のお腹の方に静かにそーっと言葉にして入れてみました。
(講師:佐藤)

ユーチューブ:沢村英治投手の映像が初めて発見され公開された。昭和11年(12月2分弱の映像の中に沢村投手の投げる一球分の投球映像が記録されていた。(2015年:NHKクローズアップ現代)

佐藤比呂二の画像
佐藤比呂二 2021/08/28 19:31

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