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出会うこと巡ること・・・ちゃんがちゃがうまこの鈴音 (佐藤)

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岩手の盛岡の6月。わたしは「チャグチャグ馬コ」を見るためにそこに居ました。1993年頃だろうか?

「チャグチャグ馬コ」は郷土芸能行事の一つでチャグチャグと聞こえるところから来ています。もともとは馬の守護神である滝沢村の駒形神社蒼然社(そうぜんやしろ)への参詣行事でした。大正末(1926年)までは「大駆け(おおがけ)」と言って旧暦5月5日の端午の節句の早朝、都南村(となんむら)方面から盛岡市内を抜けて蒼然社(そうぜんやしろ)まで、参詣の朝の早駆けを競ったといいます。盛岡市内の「下の橋(しものはし)」では投げ銭(なげせん)も行われたといいます。当時の「下の橋」は馬たちが必ずわたる道すじだったのです。

現在は着飾った馬の背に子どもを乗せて行進するすっかり愛らしい観光行事色の強いものに変わりました。今考えると、その日、わたしなりに大正時代当時の面影を求めようとしていたのかもしれません。当時は今とちがって早朝、ルートも真逆でしたから。

わたしは蒼然神社に向かいました。着飾り整えた馬たちが集まり出しました。100頭くらいでしょうか。色鮮やかな装具が目に飛び込んできます。脚を上げれば鈴がなります。首を振れば鈴がなります。鈴の音が蒼然神社の空の下にみんな集まっている感じがしました。

午前9時そろそろ出発です。馬の背に乗った子どもがいます。この社の鳥居をくぐり、盛岡市中津川まで盛岡八幡宮までの10数キロの行程です。

わたしは今日の無事を祈り、みんなにはお先ご免をして、鳥居をくぐり歩き出しました。盛岡の「下の橋」までの独り歩きです。盛岡市内に入りると段々と見物人波に圧されてきました。急ぎ歩きます。それから丁度、駅前の開運橋でわたしの足が止まりました。見上げると鋼アーチが6月の空に映えて美しいと思いました。左手には泰然自若の岩手山が見えます。雲はあったでしょうか?思い出せません。暫くその場所に居ました。
先頭のチャグチャグ馬コが通り過ぎて行きます。馬コの息と鈴の音ひとの声、そして鮮やかな色やかたちが入ってきます。

チャグチャグ馬コはこの先の大通り中の橋に向かって行きます。しかし、わたしは開運橋の右手の道、大沢川原を選びました。静かです。そぞろ歩きました。塩釜馬具店を見て通過する自分が居ます。盛岡城の石垣が見えて来ました。教会と下の橋はもう直ぐです。

下の橋の欄干から中津川を見ると、すでに川岸や中洲に入っていく馬が在りました。岸に散らかった装具の鮮やかな生地や人馬やキラキラひかる川面をぼんやり見やりました。どこまでも広がる明るい盛岡の初夏の弓のような空の青。何んだろう?包み込まれるようです、沁みて来るのです。

1917年(大正6年)宮澤賢治は盛岡高等農林学校の三年になり4月から、弟 清六(せいろく)と従弟ともに、
この道路を挟んだ教会の向かい側に下宿します。宮澤賢治の短歌4首をご紹介します。

ちゃんがちゃがうまこ

夜明けには
まだ間あるのに
下のはし
ちゃんがちゃんが馬コ見さ出はたひと

ほんのぴゃこ
夜明げがかった雲のいろ
ちゃんがちゃんがうまこ 橋渡て來る

いしょけめに
ちゃんがちゃんがうまこはせでけば
夜明けの為が
泣くだあいよな氣もす

下のはし
ちゃんがちゃがうまこ見さ出はた
みんなのながさ
おどともまざり

不思議な巡りです。2017年9月1日金曜日。宮沢賢治の世界—野口田鶴子ひとり語り—というライブ(横浜)に行くことができました。去年の2016年夏一ヶ月ほど国分寺市のでんえん(田園)という喫茶店で個展が出来ました。その折に、鎌倉から横浜からふたりの詩人がわざわざ来ていただきました。お互い初見です。緊張しましたが、後で、女性の方の詩人から朗読会の案内が届きました。一年以上経って居ましたので、申し訳ないと思いました。

野口田鶴子さんのひとり語りのライブが終わりました。わたしの方から気になり出した事を、精一杯話し聞いてもらいました。「1983年頃、国立市のライブハウス(リバプール)で、女性お二人での歌ステージで唄以外に鈴を鳴らして(ちゃんがちゃがうまこ)を立って朗読しませんでしたか?」「お客が少なく4~5人しか居なかったライブではありませんでしたか?」とても失礼なわたしの物言いだったかもしれません。その時、野口さんは「わたしではないと思います」とキッパリと応えます。気持ち良く一蹴されました。「ここにある鈴は羊の首に付ける鈴でイタリアでみつけた物です」と。わたしは鈴を触らせていただきました。

11月3日金曜日。野口田鶴子さんの
「なめとこ山と熊」の語る口に強く魅せられて、もう一度、彼女の「なめとこ山と熊」を聞きたいと思ったからです。透明な鳴り物も入ります。その日は「雨ニモマケズ」もプログラムに入っています。手帳に書かれた「雨ニモマケズ」の日付は「11、3」偶然が重なります。

始まる前にご挨拶が出来ました。
「『佐藤さんの作品写真でもあれば拝見したい』というので図々しく作品を持って来ました」と言いました。「実は国立でのライブはわたしだと思います」と語ります。確かに女性相方とライブを回っていた事を話してくれました。佐藤さんに会ってからいろいろと当時の事を思い出していたそうです。

こちらこそ、本当に有り難い事でした。よく分かりませんが、わたしの中で今、ちゃんがちゃがうまこの鈴の音が外に出て動きだしました。そして、あらためてみんなそれぞれだと思います。イタリアの羊の鈴の音はもちろんのこと、スイスのカウ・ベル、ドラえもんの鈴みんなそれぞれ在りでしょうね!抱えて歩いて行きたいものです。待っているひとが居たらどんなにか嬉しい事でしょう。

写真は日が短くなってから花咲く皇帝ダリヤです。

佐藤

佐藤比呂二の画像
佐藤比呂二 2017/12/08 22:26

出会うこと巡ること・・・秋蟬(佐藤)

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都心からずいぶん離れたところに、私の最寄りの駅があります。ホームに蝉が降ります。朝露の中、青く淡い緑色の生まれたばかりのセミを草むらに戻したのは7月か?夏の始まり。この草むらから先の高架を渡ればあっという間に駅改札口に続いています。風が渡る明るい駅ホームは清しい。やがて8月末になると、駅ホームや高架道道には蝉が降る。

今年の7月8月9月。わたしの周りで休みなくいろいろな事がありました。

ジャコメッティ、荒木経惟、宮崎進、清宮質文、レオナルド・ダ・ヴィンチを見る。ある画廊では「山口長男の絵をみたいなら小平市中央公民館にあるよ」と教えてもらいました。

9月21日。朝早く、花巻から五輪のお墓の写真がメールで送られて来る。有り難い事でした。
9月22日。「今、いのちがあなたを生きている」という言葉がわたし中に入って来ました。

宗教ではありません。魂しいやいのちの世界というのではありません。上手く言えません。創りたいかたちの事です。私の中に、まことの、沁みあふれてくるかたちを求めたいというのがあります。私は自然や人をかりて、さらに心の奥というか空間を求めたいのがありです。止まると動き出すあり様です。

夜、教室の帰り、踏まれてペシャンコになった蝉のからだを見ました。その側には、バタバタと動く蝉が居ます。私の手の中に運んだら一度こう高く鳴きました。弾け飛んで行けと思いました。家まで離れないでいる蝉。部屋のテーブルに置いたら次の日すがたを消しました。

それから二日後か?部屋アトリエの壁に取り憑いて動かない形が浮かび上がりました。かたちを見ていると人間も蝉もいのちは風のように水のように流れていると思いました。

今、私はそれを払うことができません。蝉のかたちは地球人生を潔くさまよい、まるで“入定”し、とどまったかたちと思いました。身体といのちを感じさせてくれています。

佐藤

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佐藤比呂二 2017/10/05 21:37

出会うこと巡ること・・・その4(蓴菜《じゅんさい》)(佐藤)

冷蔵庫の中に【蓴菜(じゅんさい)水煮】の瓶がある。栓を抜かないでそのままにしてある。ラベルに印字された賞味期限は2015、7、1。

7月の末、東京武蔵野美術学院の前学院長の田村直樹先生にお会いすることが出来た。友人の絵描きさん細川貴司さんがこの機会を用意してくれた。

25年が経っていた。

田村先生は会うなり、うなぎ蒲焼を食べに行こうという。国分寺駅南口徒歩1分の《天松》に連れて行く。随分と長い間ご無沙汰していているので緊張するが、何を話していいか分からない。着くなり生ビールを注文してくれ「お疲れさま~」の乾杯で始まった。

自分の話をしてくれた。兵庫県の上の方の田舎で生まれ育ったという。子供時分は親父に連れられて、うなぎの罠を仕掛けて獲ったという。高知出身の細川先生も仕掛けに詳しく、二人で両手を広げてかたちや大きさを示してくれる。田村先生は取り逃したうなぎを目の前にある様に破顔一笑して話すので、話に飽きがこない。

鮎、うなぎ、ヤマべのこと。飼ってたニワトリがイタチに首をとられたこと。カワウソが出て来たのには驚いた。絶滅種のカワウソをじっさいに見たひとがここに居る。テーブルの真向かいに座っているひとがそうだ。その事も何かとても嬉しく感じられた。獺(かわうそ)の祭と書いて【獺祭(だっさい)】というお酒がありましたネと言ったら、田村先生献立表を開きながら「獺祭ある~」、「呑もう呑もう」と田村先生直ぐに注文してくれた。「美味しい」と細川さんが声に出す。私は頷いた。

田村先生は初め建築ではなく、絵を目指したのだということも教えてくれた。三人はどうしても話が絵の関係、美術関係者になってしまう。私はたのもしいくらいに自然や河川、動植物、人とが豊かな空間を成していた時代が確かにあったことを出来ればもうしばらく聞いていたかっが、、、。田村先生は草取り片付けが大変で田舎の地所もそのうちスッキリしたいともいう。

「奥さんはお元気ですか?」と私は切り出した。

3年前に亡くなったという。私はボンヤリと色白で綺麗な顔が浮かんで消えた。知らないこと無沙汰を恥じるばかりだ。頭を下げた。

田村先生さらに【蓴菜(じゅんさい)】を注文してくれた。味付けされた、エビも一緒に盛り合わせて美しい。その小鉢の中の小さな粒の様なのが【じゅんさい】だ。この《じゅんさい】は私の知っている【じゅんさい】ではなと思った。これでは、喉ごしにかかる柔らかでなんとも言えないぬめりゴロゴロ感が同じだけじゃないのか?

形あっての世界に想いを馳せた。あの妙な形が、懐かしく、いい形として現れはじめた。

その時、女将がこの小さい【じゅんさい】が高価なんですよと教え示した。私は一瞬黙ってしまった。

田村先生は「女房は秋田出身なので、普段食卓にのぼる【じゅんさい】は酢漬けのシンプルなもので、添いものはあっても、、、」イメージを説明してくれた。田村先生の【じゅんさい】は愛おしいひとと繋がっていくものに感じた。

後日、冷蔵庫から【じゅんさい】の水煮の瓶詰めを見る。「あなたはオリーブグリーン色の妙な形のこの存在感に支配されたかったのでしょう」っと。【じゅんさい】の宿題はどうなったのですか。描かれたお茶碗の作品はいつ出来るの?・・・私の場合は再起動のスイッチを押してしまった様だ。

佐藤

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佐藤比呂二 2017/08/07 20:58
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