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ぼんやり・・・その5 サイカチのこと(佐藤)

前のはなしにもどります。
大雪の中での武蔵野美術大学/学部卒業制作展示。
重い扉は閉まったまま、断わりの貼り紙一枚。

鷹觜さんの展示室は、大雪のため、雨漏れ事故が起こり、作品を鑑賞できるものではなかったという。

携帯から聞こえてくる彼女の声から、申し訳ない作品ファイルだけでも観てほしいという、その後も申し訳ないを強く言う、いっぱいがつたわってきました。

彼女の卒業制作は見たかったのは事実です。

しかし、わたしにとっては朝からその日の大雪あれこれがおそろしく楽しかった。 景色や道行き。新雪を踏む感触や他のひとの踏み跡に自分の靴が続いたのも妙に感じたりしました。

彼女の展示は見れなかった。が、わたしはある感慨も起こりました。展示会場の建物は、私が在籍したときは四号館といっていた。まわり階段を上がればピロティーがまがりなりにも出現するもの。無用の装飾を排した機能主義近代建築をうたっていた。

時間は自然は流れます。そして雨だれ一滴は、確かに穿つことをしめしてくれました。

鷹觜さんはこの作品で優秀賞を冠したらしい。4月からは東京藝術大学大学院油画に進んだと人伝てにきいた。心から嬉しくなりました。

はなしはわたしのこと。わたしの卒制作の1点は「サイカチ」というものでした。

この樹の若葉、トゲ、鞘の様相が面白くてあきることがありません。サイカチ!今もつかず離れずわたしをここまであわせて来てくれています。

ある時、わたしの中に宮沢賢治さんが入ってきました。やはりどう考えても『サイカチ』もその縁でしょう。

3年前に偶然見つけました。JR御茶ノ水駅から歩いて5~6分のところに、その『サイカチ樹」はありました。

(次回に続く)

(講師・佐藤)

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佐藤比呂二 2016/05/11 13:52

ぼんやり・・・その4 サイカチの事 (佐藤)

去年(2015年)。年末30日に携帯電話が鳴った。「時間はある?そっちに行っていいか」と言う。相手は自分のアトリエで制作がかりで忙しいという、それでも抜けらるのでこれから会わないかという。私は今は難しいと断りの物言いをした。そして、「むしろ、自分の方からそっちのアトリエに行っていいか」と催促した。

細川貴司さんは、来春の展示のため、急ぎ支持体作りが既に始まっているという。アトリエの天井の高さや広さが私の想像を超えて目に入って来る。彼の話を聞きながら、わたしは彼の家族や生活に思いを馳せた。ここにある作品素材や工具を見ているだけで作家の生業を示しているように感じた、物が美しく在る。帰り際、彼が車の窓から突然遠くの建物をゆびさした。アトリエの裏山に突き出た灰色のシルエットは・・・展望台だという。こちらが強く興味を示すと、行こう、案内するという。

筑波山、武甲山、雲取山、富士山の頂を確認する。高尾山、狭山丘陵、新宿高層ビルが見えた。スカイツリーが見えた。私はこの数日間家から出ず、実はモヤモヤクヨクヨしていたのだ。2015年は二十数年間続けていた岩手の詣でが途切れた。また、同じく二十数年間続けた年忘れコンサートを止めた年になった。この日この時間に確かに私はここにいる、ワシの身体一回りが連なる山稜と遠くに煙る東京なのだ。その後、ぼんやりとした気分が襲って来た。連なる山々がおふくろの節々曲がったリュウマチ手の指に見えて来る。狭山丘陵はナマコ胴体か。スカイツリーは今朝見たスイセンの花芯と繋がる。

私のデタラメさにもほどがあるが、私の「見る」自由のためには、みんなが付けた「名前」を疑う。視覚の呪縛を自由に解き放ちたいと思う。お前さん! 決して「読んじゃだめだぞ」。「見る」はオレの言霊をあたえることなんだと、、、思う。「読んじゃダメ」。「見る」はお前さんがそのものを受け止め感じて、つかんでいいんだぞ!という気分。

ややこしいが、地球人生や宇宙人生のためにお前さんの能(あた)うかぎり言霊(ことだま)さがしをやってもいいかなと思う。 まわりの山々が笑っている・・・誰にも聞こえないように展望台を見やり「ありがとう」と山々に挨拶した。最後に今日の出会いに感謝し、細川さんにお礼を言って帰宅した。

2016年。年が明けて鷹觜さんから卒業制作展の招待状をいただいた。会場に詰めている日時が指定してあった。携帯にもメール招待があった。1月18日(月)今年一番の寒気到来は銀世界を運んで来た。彼女の大学展示アトリエ、ドアには張り紙が貼り付けてある、「大雪で、雨漏りのため閲覧中止」と。帰途、濡れた足下を引きずり電車に乗った。電車の中で、私の卒業制作時を思い出していた。二点の内の片方の画題は「サイカチ」というものだった。

実はわたしは二日前の1月16日土曜日に、「サイカチ」の取材を目的に御茶ノ水に出掛けたばかりだったのだ。

(次回に続く)

佐藤

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佐藤比呂二 2016/01/31 01:57

ぼんやり・・・その3:円屋根 (佐藤)

円屋根をぼんやり見ることがあります。池袋駅から荻窪行きの丸ノ内線電車に乗り淡路町に向かいます。だいたい、座席で全体やり過ごす事が多いですが。

茗荷谷駅からの地上の風景が鮮やかに私に入って来てくれたことがありました。そんなこんなの経験で、地上の風景について、想いを巡らす機会になっています。

茗荷谷駅を過ぎて、地下鉄車庫に車輌が頭隠して尻隠さず図があらわれます。後楽園を囲む樹々の連なる緑色、ほどなく一瞬ですが東京ドームの銀灰色の円屋根があらわれます。この円屋根は車窓から覗くほんの数秒ではありますが、そのかたちや質に私の眼(まなこ)はぼんやりと投げ飛ばしています。いったい何を見ているのでしょう。

朝霧にけむる北海道南部・二山高原に走る馬群のひづめの跡、モナドを在りかを教えてくれた岩手県の種山ケ原の空、漬け物の蓋に乗っかった石のたたずまい、そして、渡島当別町・修道院の紫陽花の葉に隠れたデンデン虫の背の円屋根が浮かんで消えました。私の中の五感がひらいて生きづいていることを知りました。

画家モディリアーニ(1884~1920)
の描いた100年前の匂い立つような裸婦の絵を、肌の粘りつくような肌理(きめ)を、東京の展覧会場で私は観ました。私はいつどこで観たのか定かではありませんが、昨日のことのように覚えています。彼は35歳で世を去りました。最後のことばは「なつかしいイタリア」というものでした。

彼は人物が石の肌理をうかがうように見えていたと思います。彫刻で感銘を受けたイタリア・ナポリに始まり、そして、フィレンツェの美術アカデミー入学します。さらにヴェネツィアの美術研究所に入学もしています。22歳の時にパリに赴きました。パリに出ても彫刻にこだわっていました。モディリアーニとってはフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィーオーレ聖堂の円蓋(クーポラ)もヴェネツィアの大運河のサルーテ教会の円屋根も空気のように親しかったにちがいありません。そして、パリは何処からも望むことが出来る丘にたつサクレ・クーレ寺院円屋根です。彼の赴くところに円屋根がありました。

円屋根の話から際限なく横路にそれていくばかりです。地球人生は見え隠れする地上の風景の遠近の景の中に、強くあらわれて来る感じがしてなりません。見ることは困ったものですネ。大したものですネ。今一度、私の中で見ることを整理する問題として、しばらくの間ぼうーと受けとめてみたいと考えています。やはり、詰めて進んでみたい「かたちびと」にあいたい心持ちがしています。

佐藤

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佐藤比呂二 2015/12/14 17:57
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